写真のバックアップ

google photo はじめとするオンラインストレージサービスが普及したのはいつ頃からだっただろうか。その前は、携帯の容量がいっぱいになるごとにパソコンに写真データを移して、という手間なことをやっていた気がする。


icloudはその前からあったか?でも、Googleのように容量無制限ではなかった。幸いなことに、息子が生まれた頃にはGoogleフォトはあったので…いや、書きながら思い出したが、息子が産まれたことをきっかけに私はGoogleフォトの存在に気づいたのだ。


なので、2015年以降の私の人生は非常に思い出しやすいものとなっていた。写真を見れば日付や撮影時間までわかるし、乗り換え案内のスクリーンショットまで保存してくれてうるので、その日どこに行こうとしていたかも思い出せる。ズボラで日記や手帳がついぞ続いたことのない私に、自動でフォトアルバムを作成してくれるのだから、これほどありがたいサービスはない。


最近とみに写真を部屋に飾ろうという気持ちになっている。その理由は、子供の自己肯定感を高めるのに楽しかった思い出の写真を飾るのは良いことだとどこかで目にしたからだし、自分自身の自己肯定感や自律神経を整えるのにも良いとテレビでも観たからだ。たしかに息子は自分の写真や描いた絵が飾られると嬉しそうにする。息子は視覚優位なところもあるし、ぜひやってみようという気持ちになった。


そうして同時に、自分自身をエンパワメントするためにも使いたいと思った。過去の思い出にはろくなものがないような気もするが、香港に旅行したのは本当に良い思い出だし、昔の自分のスキニーさをダイエットの励みにするのも悪くないのでは。それから、有名無名関係なく自分が目標とする人の写真を入れるのも良い。もちろんこれは壁には飾らず、夫には見せず密かに手帳に入れておくくらいにしておくつもりだが。


そのためには、Googleフォト以前の過去の写真をGoogleフォトに上げなければいけない。そうして、今にも壊れそうなパソコンからデータをちまちまアップロードしているのだが。


若い頃の私は自信がなくて、摂食障害もあり体重の増減も激しく、私自身が写っている写真はほとんどなかった。どこかに出かけても圧倒的に風景が多い。それか、ファッション雑誌やレシピを撮影したもの。


でも、そもそも、友達が極端に少なかったし、その友達にもとても遠慮していた。いつも一人で行動していたのだから、風景ばかりでも無理はない。


あのころ自分が何を考え、何に憧れていたかはわかるけれど、自分自身の写真がもっとあれば良かったのにというのは、今の少し自己肯定感の上がった自分だからこその言い分だろうか。あの頃どんなことを考えて生きていたかということが思い出せるきっかけを得られただけでも幸運なのかもしれない。


昔の自分はブスだブスだと自分で気にしていたよりは全然かわいらしく、しかし常に自信がなく不安そうであった。まあ若いからね。今の自分はどうだろうか。


2013年10月 の写真。

友人との待ち合わせの前、街に長い長いエスカレーターがあるのがとても面白くて、ずっと下って行った。

もう平和な香港には戻らないのだろうか。

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