少しずつマシにな人間になりたい

私が確か大学に合格したとき、今はもう亡くなってしまった父方の伯母から入学祝を頂いた。そこには手紙が入っていて、お祝いの言葉とともに「自分の能力すらも親から与えられているということを忘れないでください。」とあった。そのころ私は親と折り合いが非常に悪く、私の努力の結果合格を勝ち取ったのに、なんで親に感謝しないといけないんだろうと反発を感じたのを覚えている。だからこそずっと覚えていた。

 

最近思うのは、伯母の言葉が本当だったということだ。私は幸運にも日本に生まれ、勉強ができる環境があり、身体の健康さにも恵まれ、学力を身に着けることができた。結局大学は中退してしまい、今はただの主婦なのだが。自分の能力も、努力できる環境も、幸運によるものが大きかったのだと思うようになったのだ。

 

それはやはり子供を産んだことが大きい。私の子供は発達が遅く、医師から確定診断はされていないが、幼稚園には介助付きで通っている。私は子供を産むまでは、いや産んでからもしばらく、パーフェクトベビー願望が強い人間だった。利発で打てば響くような反応があり、ひらがなも数字も1教えれば10覚えるような、そんな子供が生まれる良いと強く期待していたのだ。私自身が早熟でそのような子供だったから、自分の子供も当然そうなるだろうと漠然と思っていた。だけど、生まれた子供は自分の予想を超えていた。子供が三歳を迎えるくらいまで私は常に混乱し戸惑い、悲しみ怒っていた。

 

障害とはっきり突き付けられたわけではないが、子供が差別される側になるかもしれない立場に置かれるかもしれないと思ったとき、社会からどんな視線を向けられるだろう、それを恐ろしいと思った。なぜなら、子供を産む前の私は、自己責任論者とまではいかなくとも、能力のない人はどこか努力が足りないのだろうというような傲慢な考え方をしていたからである。私は自分の中の差別意識に苦しんだ。今も苦しんでいるが、だいぶ緩和された。息子を産んで、大変なことが多いが、私が少しだけ人間的にマシになったとすればその部分である。まだマシになったとは言い切れないか。でもよりよくなりたいと思う。息子には本当に感謝しているし、自分がどんな人間でであっても親から愛されているということをずっと知っていてほしい。そういう風に育てたいと思っている。