家事育児労働は尊い,

毎日家をきれいに整え、きちんとした食事を家族に作り続けることの尊いことよ。私はこれを専業主婦の立場からというよりは、子供だったころの自分の立場から強く思うのだ。


私の母は今で言うバリキャリだった。仕事にのめりこみ、父より稼いでいたという思う。父は父で朝5時には家を出て、夜23時に帰る、しかも低賃金というブラック企業勤めだった。そんな家で、母は「女だから」「母だから」という理由だけで家事をさせられるのは、性差別であり、搾取されているという思いが強かったようだ。なのに、兄には家事の手伝いを求めず、女である私には家事の手伝いを求めるというダブルスタンダードもあり、私はその矛盾に大いに混乱していた。


そんな環境で、食事はないことも多かったので自分でチャーハンを作った。孤食も当たり前になった。家はぐちゃぐちゃで雑然としており、シンクもガス台も水垢や油でどろどろだった。私は結婚してしばらくしてからこれらを毎日掃除すれば汚れはこびりつかないということに気づいて驚いた。


母は専業主婦を馬鹿にしていた。女を馬鹿にしていた。しかし、家をきれいにし、きちんとした食事を作り、子供が何を考えているか気にかける心の余裕があるというのはとても素晴らしいことではないだろうか?専業主婦のいるお母さんの家のことをなんとなく「きちんとしているな」と子供心に思っていた。

ワーキングマザーでも同様にできる人もいるだろうし、祖父母のサポートの有無によっても異なるだろうが、少なくとも共働きで子供を保育園に通わせていたときは、私は仕事にリソースをとられすぎ、ストレスを抱えすぎ、子供に目を配る余裕をなくしてしまっていた。だから今自分が専業主婦であることには納得しているというか、ありがたく思っているのだが、それでもこの立場は承認されるということがとても少ない。だからこのように、自分で自分を承認するようなことを書きたくなることがある。