「夜と霧」とこんなはずじゃなかったのにという妄想

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東日本大震災で被災した人たちが集まって「夜と霧」の読書会をしているという記事を読んで、何かのヒントになるんじゃないかと思って読んでみた。

 

強制収容所での体験や、震災で大切な人や住む場所を亡くした人たちとは比べるべくもないけれど、私も育児をしていて少なからず、「私の人生こんなはずじゃなかったのにな」という思いが去来することはある。かつて子育てに思い描いていた夢や希望がかなわない(かもしれない)のだなぁと思うとき。悲観するにはまだ早いとは思うが、「自分の人生こんなはずではなかったのに、なぜ私が?」という恨みがましい気持ちになる。周囲の親子がみんな幸せそうに見えて、自分だけが割りを食っているというか、不幸で理不尽な目にあっていると思うわけです。

 

 でも実際はそんなことはないよね。誰だって、望まない運命にふいに投げ込まれることはある。この本を読んでいると、私が取り組むべき課題なんてちっぽけなものだと思うし、絶望せずに乗り越えるべき、乗り越えられるべきものだという気持ちが湧いてくる。「あの人の運命と比べたら私なんてまだまだ不幸じゃない」という下衆な読み方をしているわけではない(と、思いたい。実際下衆だから完全に否定はできないけど。)そうではなくて、たとえつらい、期待をもてないような人生であっても、人生は私たちに期待することをやめない。どんな運命に置かれたとしても、いかに人生の過酷さに飲み込まず、自分を見失うことな生きられるか?という課題が私たちは課されているという部分に励まされたのだ。

 

平穏な暮らしをずっと手にしていられれば良いけれど、震災を機にそれがいとも簡単に失われてしまうものだということを私は知ったし、天災でなくとも、自分も家族もいつ病気や怪我に見舞われるかもしれない。だから、いつまでも「こんなはずじゃなかった」と、手にすることのなかった思い描いていた…手にしていられると思った未来を惜しんで泣くのは、これから人生に立ち向かっていく態度ではないなと思ったのだ。